――「強豪校なら未来は約束されている」と思っていたあの頃の自分へ――
はじめに
「強豪校に行けば、甲子園に近づける」
「レギュラーになれば、進路はなんとかなる」
そう信じて、全国区と言われる高校に進学した。
プロ野球選手も何人も輩出している。
名前を出せば、誰もが知っている高校だ。
周りからは「すごい学校に行ったな」と言われた。
自分自身も、心のどこかで思っていた。
――ここに来れば、道は拓ける。
でも実際は、
**強豪校に行ったからこそ見えた“別の現実”**があった。
これは、
甲子園に出られなかった一人の強豪校球児としての、正直な話だ。
強豪校を選んだ理由と、当時の覚悟
その高校を選んだ理由は、シンプルだった。
- 全国区であること
- プロ野球選手を輩出していること
「ここに行けば、レベルの高い環境でやれる」
「甲子園も、決して夢物語じゃない」
そう思っていた。
入学した当初は、
「2年生になれば、試合でレギュラーになれる」
そのくらいの手応えも感じていた。
地元の高校事情をよく知らなかったこともあり、
甲子園は“とてつもなく遠い場所”には見えていなかった。
入って気づいた、意外なギャップ
強豪校の練習は、正直意外だった。
「毎日の練習って、そんなに苦しくないな」
中学時代のほうが、
よほどきつい練習をしていた感覚があった。
周りとの実力差も、
「驚くほど違う」と感じたわけではない。
ただ、違ったのは空気だ。
シートノック一つ取っても、
ミスが許されない張りつめた雰囲気。
ミスをすれば、評価が一段下がる。
次にチャンスが回ってくる保証はない。
実力よりも先に、
**“緊張感に耐えられるか”**が問われているような感覚だった。
「甲子園に行けない」とは、最後まで思っていなかった
少し意外かもしれないが、
在学中に「甲子園に行けない」と感じたことはほとんどなかった。
1年・2年のとき、
自分がレギュラーでない時代にチームは甲子園に出場した。
3年になり、
自分がレギュラーになった年は甲子園に行けなかった。
それでも、
「自分の代は無理だったんだ」とは思わなかった。
強豪校では、
“行けるかどうか”より
“行く前提で話が進む”。
その空気の中にいると、
疑うという発想自体が薄れていく。
周囲の視線と、見えないプレッシャー
地元や家族からは応援されていた。
「無理はするなよ」
そんな言葉もかけてもらった。
ただ、
「本当に通用するのか?」
そんな目で見られていた感覚も、正直あった。
強豪校にいるというだけで、
期待と疑問が同時に向けられる。
「すごいね」と言われる一方で、
レギュラーで試合に出ないと意味がない
という無言のプレッシャーがのしかかる。
嬉しさと重圧は、常にセットだった。
強豪校球児の進路は、実力だけで決まらない
これが、
この記事で一番伝えたい「リアル」かもしれない。
強豪校でレギュラーになれれば、
ある程度の進学先は推薦で見えてくる。
ただ――
甲子園に出場できるかどうかで、世界は一段変わる。
甲子園に出れば、
同じ実力でもワンランク上の大学群が見えてくる。
そしてもう一つ。
進路は、
監督のコネや信頼関係の影響がとても大きい。
プロ注目選手でない限り、
「実力だけで公平に決まる」とは言えないのが現実だ。
甲子園に出られていたら――
もっと強い大学、
もっと条件のいい場所に行けていたかもしれない。
そう思う瞬間は、今でもある。
強豪校で学んだ、割り切れない現実
この経験から学んだことは、はっきりしている。
- 人生は、自分の夢や理想通りにはならない
- レギュラーになれるかどうかは、自分の裁量が大きい
- でも、試合の勝ち負けは自分ではどうにもできない部分も多い
努力すれば報われる、
という世界ではない。
でも、
何を任され、どう振る舞うかは
自分で選び続けるしかなかった。
それが、
強豪校にいたからこそ得られた感覚だったと思う。
後輩へ、そして親御さんへ
もし同じ立場の後輩に声をかけるなら、
迷わずこう言う。
「お前は、甲子園行けよ」
それは無責任な励ましじゃない。
行ける可能性があるなら、
本気で目指してほしいという意味だ。
そして、
この文章を読んでほしいのは――
- 強豪校を目指している球児
- 強豪校に進学させようとしている親御さん
「強豪校=安泰」ではない。
でも、意味がないわけでもない。
大事なのは、
現実を知ったうえで覚悟して飛び込むことだと思う。
おわりに
甲子園に出られなかったからといって、
人生が終わるわけじゃない。
でも、
その現実を知らずに強豪校を選ぶと、
思っていた以上に戸惑うことになる。
この文章が、
誰かが進路を考えるときの
「材料の一つ」になれば、それでいい。
夢は夢として追っていい。
でも、現実から目を背けない強さも、
同時に持っていてほしい。



コメント