――「レギュラーで甲子園」だけを見ていた僕が、後から気づいたこと――
はじめに|高校選びは、野球人生のすべてに見えていた
中学生の頃、
高校野球の進路選択で、僕の中に他の基準はなかった。
レギュラーを取れるか。
甲子園に出場できるか。
それがすべてだった。
「甲子園に出て、プロ野球選手になる」
そこだけを真っ直ぐ見ていて、
それ以外の未来は、ほとんど視界に入っていなかった。
見落としていたポイント①
レギュラーを取って甲子園に出られれば、それでいいと思っていた
当時の僕にとって、
- レギュラーになれるか
- 甲子園に出場できるか
この二つが、高校選びの全てだった。
他のことは、正直どうでもよかった。
- 野球を辞めたあと、どう生きるか
- レギュラーになれなかったとき、何が残るか
そんなことを考える余裕もなかったし、
「考えなくていい」と、どこかで切り捨てていた。
見落としていたポイント②
野球がすべてになったときの人生を想像していなかった
九州の強豪校に入って、
初めて直面した現実がある。
それは、野球以外の時間が、ほとんどなかったことだ。
授業は午前中で終わり、
午後からは野球、野球、野球。
正直、驚いた。
「普通に6時間授業があって、そのあと練習」
そんなイメージを、勝手に持っていたからだ。
当時の自分は、
「文武両道」「野球をやるために勉強も頑張る」
そんな考えを、理想として持っていた。
でも、実際に待っていたのは、
野球だけでいい。
野球に全振りする環境。
それに気づいた瞬間、
進路選択の重さをようやく実感した。
見落としていたポイント③
野球バカになる覚悟が、本当に自分にあったのか
今なら、中学生の自分にこう聞きたい。
「野球バカになれる覚悟は、本当にある?」
「勉強をしなくていい環境に行く覚悟はできてる?」
当時の僕は、即答だったと思う。
「レギュラーで甲子園に出られれば、それでいい」と。
でも今ならわかる。
それは、
野球で結果が出なかった瞬間に、選択肢が一気に狭まる覚悟でもある。
見落とされがちな本質
選んだ高校は、野球以外の“退路が断たれる環境”だった
九州の強豪校は、
野球以外の逃げ道を断つような環境だった。
- 勉強に逃げられない
- 別の可能性に目を向けにくい
- 成功か、何者にもなれないか
極端に見えるかもしれないが、
当時の自分は、確かにそこに身を置いていた。
誰かに言ってほしかった言葉
今振り返ると、
当時の自分に誰かこう聞いてほしかった。
「進学実績や就職実績は見たか?」
きっとそのときの僕は、こう答えただろう。
「レギュラーで甲子園に出られればいい。
そしてプロ野球選手になる」
そう言い切っていたと思う。
でも、それを否定してほしいわけじゃない。
ただ、“知ったうえで選ぶ”選択肢もあったはずだと思う。
強豪校に行く中学生へ、今の本音
もし今、中学生に聞かれたら、こう言う。
「一旗揚げるまで帰ってこない覚悟はできてるか?」
**「本気で勝負してこいよ」**と。
甘い言葉はかけない。
でも同時に、心からこうも思っている。
おわりに|それでも、選んだ道を否定しない
今の僕の本音は、これだ。
選択肢が多い高校の方が、人生としてはいい。
でも――
自分で選んだ道なら、やれるだけやってこい。
高校野球の進路選択に、正解はない。
ただ、覚悟の量と質だけは、あとから誤魔化せない。
あのときの自分は、
野球にすべてを賭ける覚悟をした。
だから今も、
その選択を否定するつもりはない。



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