他人の期待を捨てて、自分の人生を歩き始めた日

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■ はじめに

人は誰でも、知らず知らずのうちに“他人の期待”を背負って生きてしまう。
それが親であれ、先生であれ、仲間であれ、周囲の人であれ。

期待はときに励ましにもなるけれど、
ときに自分を縛る“鎖”にもなる。

僕自身がその鎖の重さに気づき、
そこから抜け出して“自分の人生”を歩き始めた日のことを、ここに書いていきたい。


■ 野球時代、気づかないうちに背負っていた“期待”

僕が他人の期待を強く感じ始めたのは、野球に全てをかけていた頃だ。

高校で寮生活をし、親元を離れた。
親に「頑張っている姿を見せたい」「レギュラーで試合に出る姿を見せたい」
そんな思いが強かった。

中学の監督、チームメイト、地元の仲間。
その人たちの期待に応えたい気持ちもあった。

誰かに言われたわけじゃない。
自分で自分にプレッシャーをかけていた。

「地元を離れてまで野球をしに来ているのに、
レギュラーになれなかったら恥ずかしい」

そんな思いが、僕をずっと走らせていた。

でも、その期待に押しつぶされそうになったとき、
心のどこかでこう思うようになってしまった。

「好きで始めた野球が、嫌いになりそうだ」

期待に応えようとするあまり、
本来の「好き」という気持ちが見えなくなっていた。


■ JR時代、期待ではなく“世間の目”に縛られていた

意外なことに、JRに入ったときは“他人の期待”を強く感じることはなかった。

でもその代わり、
世間の目に縛られていた。

「有名な会社に入りたい」
「周囲が驚く企業に入りたい」
「安定している会社に入ることが正解だ」

そんなふうに、自分の本音よりも
“どう見られるか”
“どう思われるか”
ばかりを気にしていた。

JRに受かったときは嬉しかった。
でも、それはどこか
「評価される場所に入れた」という安心であって、
本心から“この仕事がしたい”という気持ちではなかった。


■ JRを辞めると決めた日、殻が割れた

そんな僕が変わったのは、
JRを辞める決断をした日のことだ。

このまま安定した会社で働く人生もある。
でも、心の奥ではずっと違和感があった。

「この道は、俺の人生じゃない」

辞めるとき、不安は大きかった。
怖さもあった。
安定を手放すのは簡単ではない。

でも、同時にこう思えた。

「これが初めて、自分で選んだ道だ」

周りの期待や世間体を捨てて、
本当の自分の気持ちに従った瞬間だった。

あの決断で、
長年まとっていた“殻”が初めて割れた気がした。


■ ITに入っても「期待を捨てた実感」はなかった

実は、ITに入った直後も
「期待を捨てて生きている」という実感はなかった。

毎日が必死で、苦しくて、
エラーと格闘して、
ミーティングにもついていけず、
自信のない日々が続いた。

けれど、そんな自分と向き合う中で、
少しずつ “自分で選んだ人生” を歩いている実感だけは確かに育っていった。


■ 他人の期待を捨てるとは、“自分に責任を持つ”ということ

最後に、あなたへ伝えたい。

他人の期待を捨てるとは、他人を大切にしないということではない。

期待を捨てるというのは、
自分の人生に責任を持つということ。

僕はJRを辞め、
野球を手放し、
自分の道を選び始めたとき、
ほんの少しだけ“大人になれた”気がした。

誰かの価値観で生きるのではなく、
自分の価値観で生きる。

誰かの期待に応える人生ではなく、
自分の未来に責任を持つ人生を選ぶ。

その瞬間から、人生は変わる。


■ 最後に

もし今、あなたが他人の期待や周囲の目に縛られて苦しんでいるなら、

その期待を捨ててもいい。
あなたの人生は、あなたが決めていい。

僕がそうだったように、
“自分の人生を生きたい”という小さな声を信じていい。

その一歩が、
あなたの人生を大きく動かしていく。

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