―― 強かったはずの僕が、動けなくなるまで ――
僕は、自分を「強い人間」だと思っていた
野球をやっていたころの僕は、
自分のことを「そこそこ強い人間」だと思っていた。
練習では、かなりきついこともやってきた。
体力的に追い込まれても、逃げずにこなしてきた自負がある。
試合では、別の強さが身についた。
結果が出るか分からない。
ミスをしたら評価が落ちる。
それでもグラウンドに立ち続ける精神的な強さ。
少なくとも、
「簡単に折れる人間じゃない」
そう思っていた。
だから社会に出ても、
多少しんどくても耐えられると思っていた。
「あれ、おかしいな」と思い始めたのは、体の異変からだった
今思い返すと、最初のサインははっきりしている。
朝起きたとき、
尋常じゃない量の寝汗をかいていた。
それだけじゃない。
出社前になると、
動悸がひどくなって、
一度どこかで休憩しないと、そのまま出社できなくなった。
さらに決定的だったのが、
微熱が2週間下がらなかったこと。
「ちょっと疲れてるだけ」
「そのうち治る」
そう思おうとしていたけど、
体は正直だった。
明らかに、何かがおかしかった。
動けなくなりながらも、頭の中では必死に踏ん張っていた
それでも、僕の頭の中はこうだった。
ここでやめると、レールから外れる
なんとか、しがみつかなきゃいけない
強烈だったのは、「恐怖」だった。
これまで積み上げてきたものが、
ここで全部崩れる気がした。
辞めたら終わり。
辞めたら負け。
ここで耐えられなかったら、もう戻れない。
自分の中で、勝手にそんな物語を作っていた。
出社前のベンチで、ドアを開けられなかった日
今でも、あの光景ははっきり覚えている。
出社前、会社の近くのベンチ。
建物は目の前。
でも、
息が苦しくて、ドアを開けることができなかった。
頭では分かっている。
行かなきゃいけない。
みんな中で働いている。
それでも体が動かない。
このとき初めて、はっきり思った。
「俺、もう無理かもしれない」
それでも立ち止まれなかった理由は「世間体」だった
それほど追い込まれていたのに、
すぐに辞める判断はできなかった。
理由はシンプルだ。
世間体と評価が怖かった。
JRを辞めたら、
周りの人はどう見るんだろう。
評価が下がるんじゃないか。
「根性がない」と思われるんじゃないか。
だから、「まだ大丈夫なふり」を続けた。
でも、実際に辞めて分かったことがある。
JRを辞めても、
周りの人の接し方は、何一つ変わらなかった。
あれほど怖がっていたのは、
ほとんど自分の考えすぎだった。
ITの世界で、ようやく「無理をしない働き方」を知った
ITエンジニアとして働き始めてから、
少しずつ感覚が変わっていった。
最初はもちろん必死だった。
未経験で、分からないことだらけ。
それでもあるとき、こう思えるようになった。
「頑張りすぎない範囲で働いても、仕事は前に進む」
完璧じゃなくていい。
100点じゃなくていい。
無理をしない状態でも、ちゃんと続けられる。
その感覚を掴めたとき、
初めて前向きな気持ちになれた。
「もしかしたら、
無理のない範囲で、長く続けていけるかもしれない」と。
頑張れなくなった自分は、弱くなったわけじゃなかった
今だから、はっきり言える。
頑張れなくなった自分は、弱くなったんじゃない。
むしろ、逆だった。
自分の限界が分かった。
できないことは、できないと割り切れるようになった。
何でも完璧を目指さなくなった。
これは、確実に「成長」だった。
限界を知らない頃の強さより、
限界を知ったあとのほうが、
ずっと現実的で、長く戦える。
逃げること、あきらめることも「強さ」だった
昔の僕は、
逃げる=弱さ
あきらめる=負け
そう思っていた。
でも今なら、当時の自分にこう言える。
「逃げることも、あきらめることも、強さの一つだよ」
壊れるまで耐えることが正解じゃない。
立て直せる場所に移ることも、立派な判断だ。
おわりに
「強かったはずの自分」が動けなくなったとき、
僕は自分を否定し続けた。
でも振り返ると、
あれは壊れたんじゃなく、
自分の輪郭がはっきりした瞬間だった。
頑張れなくなったあなたは、
終わったんじゃない。
次の戦い方を、手に入れただけだ。



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